人はよく事故を起こしています。
人には感情があり、その感情のままに車を運転することで事故に繋がるんです。 悪魔のわたしに言わせれば、悪魔のような人間に自分自身の力を超える「自動車」という乗り物を与えたことが問題だということです。 これでは理解できないでしょう。
人が自分自身の力以上のものを持つことで、それを快感と感じてしまうんです。 自制の効かなくなった感覚が先走ってしまうんですね。 そうなると周りのことはもちろん、自身の思いやりという気持ちもなくなってしまいます。 腕もないのにレーサー気分で道路を走ってるオヤジを思い浮かべれば解ると思います。
人が車に乗って事故を起こす理由のひとつに思いやりがなくなるということです。 普段は優しく思いやりの有る人でも、いざ車に乗ってエンジンをかけてアクセルを踏み始めると豹変する人って居るでしょう? そんな人が事故を起こす危険性が有るんです。 普通に自制を持って車に乗っていれば事故を起こすこともないのに、豹変してしまったことで自制が効かず事故を起こすんです。 事故を起こした後に後悔しても遅いんですけどね。
ぼくは人が事故を起こすのは思いやりだと言いました。 その他にも要因としては操作ミス、判断ミスっていうのが有ると思うんです。 本来の操作をしていれば事故に合わなかったはずなのに、何かに気を取られていたりして操作をミスする、判断をミスすることで事故 起こします。 悪魔のぼくに言わせれば感情が有るからミスをするんだ。ってことになります。 人にとって見れば極端な意見でしょう。 でも本当ですよ。
あとは爺さん婆さんのドライバーです。 感情とか抜きにして運動神経の伝達スピードが落ちている状態で、自分の反応速度以上の乗り物に乗ること自体が事故を起こしています。 あんなのは自業自得ですよ。 悪魔はできなければ手を出さない。 できるからやるんですよ。 それなら間違いは起こりませんからね。
これらすべて、人の思い込みによる事故と言っても差し支えないくらいです。 要は自分勝手だということです。 あるいは、己を知らないおバカだということです。 できることとできないことの判断ができず、自分勝手に判断して事故を起こす。 かける言葉もないというのが本当のところですね。
ディスってばかりいますが、それなら事故を無くしてみなさいと言いたいくらいです。
そこで出てきているのがAI(人工知能)で運転する自動運転技術です。
つづく。
ここのところ各社一斉にというか、AI(人工知能)技術が発達してきた頃から自動運転に取り組んでいるようですね。 この取り組みは未だ成功していません。 自動運転だけならすでに成功しているみたいですが、実際の道路を走らせるとやはり事故を起こすんです。 理由は簡単です。 人が走る道路に自動運転自動車を走らせているからなんです。 感情のないAI(人工知能)が感情の有る人間に対して事故を起こさないように走らせることは難しいんでしょうね。
人の感情からくる行動というのは人それぞれ大なり小なり差があります。 全く同じではないので、その誤差をAI(人工知能)はその瞬間に判断できないんでしょう。 反応速度は人の数十倍で正確なはずの自動運転自動車が事故を起こす。 要は、人が決められた範囲内での行動をせずに、AI(人工知能)の判断の範疇を超えているからなんでしょう。
逆に言えば人が思いやりを持つことでAI(人工知能)の判断の範疇内に居ることができれば、 操作ミスによる事故でさえ自動運転自動車との事故は無くなるでしょう。 素晴らしいものを作ったとしても、その周りの環境が、その素晴らしいものを使えきれていないのではどうしようもありません。 自動運転自動車を、ある時期を決めて一斉に交換するしか、今のところ手はないでしょうね。
悪魔の意見としては、車なんてものを開発するのは良いけど、 それを操る人間の育成にもっと力を注ぐべきだと思うんですよ。 免許を撮るのが簡単すぎますから。 適性検査を厳しくするほうが良いのかな?
断言します。 事故はなくなりません。 なぜなら、自動運転技術を支えているのも人間だからです。 人間はミスをする生き物です。 そんな人間がミスをしないわけがありません。 確率で言えば99.99%かもしれないけど、必ずミスをします。
というと身もフタもありませんが、とにかくそういうことです。 道路環境も人が手を加えています。 現状、そこにミスがなかったとしても管理する人がミスをする可能性もあります。 長い目で見てれば必ずミスが出るものです。 そのエラーによる自動運転自動車の事故は有ると思いますよ。
それでも現状よりかは事故は無くなるでしょう。 あとは歩く人が非常識な行動をしなければということです。 要は、どう転んでも事故が無くならないということですね。
ヤレヤレ。
歩いている人のことまで、この議論に入れ込むと纏まることがありません。 なのでここでは歩いている人は除外します。
全ての人が思いやりを持って、尚且つ判断ミス、操作ミスをしなければ事故は無くなるでしょう。 それができないからこういった議論が持ち上がるんです。
悪魔であるぼくは事故なんて起こす要因はありませんし、乗りません。 人が勝手に事故を起こしているんですからね。 知ったところではありませんよ。
あとは事故を起こした当人だけの問題にはならないということを覚えておきましょう。 人には血縁があります。 その者に対して、被害者であれば事故を起こした者を憎むだろうし、加害者であれば社会的処罰を受けるでしょう。 それは後々まであとを引きます。 そんなことをする意味が有るのかというと、事故を起こした当人とその親族だけの問題で、事故は無駄なんです。 悪いことでしか無いということですよ。
自動車に乗る人ならすべての人が思っていることに「自分だけは事故を起こさない」ってのが有るはずです。 まぁそれは間違いなんですけどね。 車に乗っている間は事故に逢う可能性がゼロでは無いということを認識しておかなければ事故を起こすものです。 事故を起こさないっていうのはたまたまですから。
悪魔的に思うことは、人が感情を持ち合わせているからです。 これが思いやりという感情を持っていれば良いのですが、そんなものは車に乗った瞬間からどっかに行ってしまう人が多いんですね。 これがひとつ。
あと、体力も衰え、判断力も鈍り、新しく変わり続ける知識に追いつかない年寄りが車を運転していることです。 数年に一度、免許証の書き換えのときに講習を受けているようですが、 そんな講習だけで乗ることができると思っている役人もどうかと思うんですよ。 事故を起こすのには必ず理由があります。 でも其のおおもとって国なんじゃないかと思うんです。 だって免許を許可してるのは国家試験をパスした運転手であって、通過を許したのは国家試験の内容からなのですからね。 適性検査だって緩すぎるんですよ。 その後の国の対応として、事故を判断するだけだしね。 事故をなくすためには自動車に乗ってはいけない人を乗せない事をしなければ事故は無くならないんですよ。
わかりきってることをこうやって説明するのもバカバカしくなってしました。 なんせぼくは悪魔ですから。
なんだなんだ?人間の事故について語ってたのか? オイラはそんなこと昔っからわかってたんだぞ。 なんで今更そんなこと言ってんだ? 事故なんて昔も今も起きていることだし、これから先も無くなることはないって。
でも事故に遭った被害者の家族は可愛そうだな。 オイラ悪魔でもそう思うぞ。 なぜ人間は対処していかないんだろうな。
悪魔はなんでもバッサリ切り捨てることができるのに、人間はそんなことできないからな〜。哀れなり。
すべて君みたいに思えるなら、人間だって事故を起こすことはないよ。 バカで進歩の少ない人間だからなかなか改善できていないだけなんだと思うよ。 AI(人工知能)がもっと進歩すれば今よりはもっと事故も少なくなると思うからね。
それより、君は自分でコーヒー豆を作るようなこと言ってなかったっけ? コーヒー豆はデリケートな植物から取ることができるんだけど、その環境は整ったのかい? どうせ君のことだから、できなくなって放ったらかしになってるんだろう。 違うかい?
流石に長年の付き合いだな。 よくわかっているじゃないか。 難しいことだということがわかったから、そのへんで雑草にでもなってるんじゃないか?
でもわかったことも有るんだぞ。 新しいことに手を出すのは楽しいってことだ。